10歳の時、転んだ拍子にアスファルトに顔を強打して、前歯を2本折りました。既に大人の歯でしたが、歯自体が未熟なことと年齢も考慮して、12歳まではそのまま歯が折れた状態で過ごしました。12歳の誕生日に、ブリッジを入れて差し歯を2本入れましたが、20歳の3月、差し歯がぐらぐらするのを感じて、かかりつけの歯科を受診しました。レントゲンを取ってみると、差し歯にしていた部分の歯茎に膿の袋があることが分かり、重度の歯肉炎と診断されました。

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よくある歯肉炎という診断名なので、通院で治るものだと思っていましたが、何度通院しても先生は難しい顔をするばかりでした。毎回、膿の状態を確認しながら、消毒をしたり、痛みを抑える薬を塗ったりしました。ひと月ほど通院した3月の下旬、「膿の袋がかなり大きく、ここの病院では治療できません。口腔外科の良い先生のいる大学病院に空きができたので、入院して手術した方がいいです」と言われ驚きました。

正直、4月から新入社員で就職する予定だったので、入社早々入院するのはちょっと困ると伝えましたが、「このまま放置すると悪化してもっと大変なことになるおそれもあるので、早めに入院した方が良いです」と先生に強く勧められ、ゴールデンウィーク前に3泊4日で入院することになりました。

入院したのは、大学病院の外科病棟の4人部屋でした。一日目が検査、翌日に手術で、術後1日入院して経過が良ければ退院とのことでした。4人部屋には既に、60代くらいの方2人と、40代くらいの脳外科に罹っている寝たきりの方が1人いて、私が一番最年少で軽傷でした。

60代の方の一人は足が不自由でしたが、とても明るく話好きな元気の良い方でした。毎日のように娘さんがお見舞いに来られて、お菓子や魔法瓶に入った温かいオリジナルブレンド茶を差し入れしていました。そのお茶は、どくだみやはと麦、ハーブが入った、娘さんオリジナルのもので、「とても体に良いから飲みなさいよ!これを飲むと、早く治って元気になるよ!」と、毎日私にも、昼食の時のカップに1杯ずつ入れてくれました。正直ちょっと苦味の強い不思議な味のお茶でしたが、その方の優しい気持ちが嬉しくて、毎日ありがたく頂いていました。

もう一人の60代の方も元気にいつも明るい声でお見舞いの方と話していましたが、カテーテル治療を受けている方だと母が話していました。その頃は分からなかったのですが、なぜあんなに元気だったのかをカテーテルで検索してみると、開胸手術をしなくてもカテーテル治療で入院期間も短く治療ができることを知りました。フェイスメディカルなどが商品を管理している会社では有名ですが、最新治療が進むと体の負担も軽く入院も短くなるので家族の負担も減るし、何よりだからあんなに元気だったのだな、と思いました。

40代の方は不慮の事故で下半身不随になってしまったらしく、昼間は明るく振舞っておられましたが、夜になるとこっそりすすり泣きする声が聞こえてきました。それでも皆さん元気で、色々な話をしながら和気あいあいと過ごしました。

私の手術は全身麻酔をかけた後僅か20分で済み、車いすで戻ってきた時にはいつもお茶をくれる方に、「もう帰ってきた!いったいどこが悪いの?本当はどこも悪くないんでしょう?」と冗談を言われる程、見た目は普通でした。しかし私は歯茎から直径2㎝程の膿を2つ取り出したため、その日から1か月半は固形物禁止の流動食生活をすることが決まっていました。歯茎以外は元気そのものだったので、食事の時には他の方の配膳を手伝っていました。

他の人の美味しそうな普通食のお膳を運び終わると、自分の汁物だけのお膳を持って部屋に入ってくるので、「一番元気なのに流動食なの?気の毒だわ、お腹空くでしょう?」と言って、面白がられていました。そして、「噛むものはダメでも、飴なら食べられるでしょう」そう言って3人の同室の方から、たくさんの飴を頂きました。半身不随で動けない40代の方は、お見舞いに来た娘さんにチョコレートと飴をいくつかビニール袋に入れさせて、娘さんが渡してくれました。お礼を言いながら、温かい気持ちがたっぷり詰まった飴やチョコレートを、ありがたく頂きました。僅か4日間でしたが、いい人達に恵まれて、退院の時は少し寂しくなりました。

あれは、6年前の夕方でした。買い物に行った帰りに熱中症で倒れて、意識はありますが時間近く立つことが出来ずにいたら、近所の人が救急車を呼んでくれました。近くの大きな病院に着き、救急対応出来る処置室に入りました。そこの看護師に「体温を測ってください」と言われたので体温を測ったら、41度もあったのです。医師から「それじゃあ、立とうと頑張っても立つことはできないですね」と言われました。医師から「このままの状態では帰らすことは出来ないので、2、3日入院してもらうことになります」と言われて驚きました。

総合病院の処置室では、熱中症の患者に対しての処置として、点滴を行いました。私は血管が細いので、手の甲の所に点滴の針を刺されました。意識がもうろうとしているので、点滴の針を刺す時の痛みは感じられなかったです。体温が非常に高く、瞳孔も開いている状態なので、両親に電話をかけてきてもらい、入院の手続きをしてもらうことになりました。

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医師と私の二人になった時に「もう少し遅かったら手遅れの状態になっていた可能性が高く、死ぬこともあります」と言われたのをよく覚えています。カーテンを閉めて、看護師に入院する時の着替えを手伝ってもらうことになり、車いすに座らされて、入院病棟に行くことになりました。看護師が付き添ってくれて、ナースステーションに引き継ぎをして、引き継がれた病棟の看護師に連れられて、入院する病室に行きました。

入院中、熱以外には全く元気でしたので、トイレも一人で行くことが出来たのですが、熱があるので、看護師から「尿瓶にしてください」と言われて、初めてのことだったので、尿瓶の使い方を教わりました。看護師にパンツを下ろされて、陰部に尿瓶を当てて用を足すように言われて、まだ若かったので恥ずかしかったです。「看護師が定期的に見回ってきますので、その時に尿瓶にたまった尿を捨てます」と言われました。

入院したのは夜の6時を過ぎていたので、ご飯は出ないと言われたので仕方がなく、母親にお弁当を買ってきてもらい、病室で私一人だけお弁当を食べました。私は小さい時から、熱があるのにも関わらずご飯だけは食べられていましたが、この時もお弁当を完食することが出来ました。

次の日の朝に病室に内科の先生がいらっしゃったのですが、「昨日はどうもお世話になりました」と言うと、先生はぽかんとしていました。ネームプレートを見ると名前も違って本当の内科の先生でした。顔がそっくりだったので、昨日の救急対応してくれた看護師と間違えてしまいました。くすっと笑って許してくれたので良かったです。

その後看護師が来て「体温を測りましょう」と言って、脇に体温計と挟んで、しばらく経って見たら、38.8度まで下がっていました。「またお昼に食事後に測りますね」と言われて、昼に測った時は38.6度、夜に測ったら、38.5度と、38度から熱が下がらないのです。「明日退院なのにどうしようこのままじゃ退院出来ない」と言うと、看護師が「どうにかして熱を下げなければ」と言って、保冷剤をいくつも持ってきてあらゆる所に保冷剤を挟んでくれました。

退院する日の朝に看護師が病室に来て「さー今日はどうかなー、体温下がっていますように」と言いながら、体温計を脇に当てて見ると37.8度で下がってない。「もう一度温度を測るので保冷剤を脇に当ててもらっていいですか」と言われて、かちかちの保冷剤を脇に当てて数分後に看護師が来て「もう一度体温計を測りましょう」と言って測ったら、体温が36.5度になっていました。これがいいか悪いかわかりませんが、看護師は熱が下がるように試行錯誤してくれたことには、とても感動をしました。お世話になった看護師と握手をしてもらって、めでたく退院となりました。

人間ドッグで肺に影が見つかり、大学病院に行くように言われました。大学病院で検査をしましたが、炎症を起こしている程度で経過観察すると言われ1年間、3カ月ごとに病院に通いました。1年目に影が大きくなり肺がんの疑いで、ペット検査を受ける事になりました。ペット検査とは、糖と放射性を含む液体を体に点滴し、特殊なレントゲンで写真を撮る事です。癌細胞は糖を吸収する性質を持つので、レントゲンで写真を撮ると癌がある部分が放射性を含んだ液体で光ると言うわけです。ペット検査の結果、やはり肺の一部にパチンコ玉くらいの光る腫瘍が映し出され、癌と診断されました。

癌と診断されてから、また検査が始まりました。肺癌は脳に転移しやすいので、脳の特殊MRAを取ったりとさまざまな検査をしました。幸いなことに脳の転移は見つからず、早期発見で最下位ステージではないかという事でした。私の場合、1年前から通院して経過観察していましたが、肺の炎症を起こしている白い影の部分が大きくなったり小さくなったりしたそうなのです。ですから、良くなったかと思っていたのが急に悪再発して悪くなったという感じです。これは癌の種類によって、大きくなったり小さくなったりすることがあるそうで注意しなければならないと言っていました。医師によると、とにかく早く癌切除をした方が良いとの事で2週間後に手術が決まりました。

癌を宣告されて、死神ににらまれているような日々でした。毎日毎日、誰の話にもうわの空でした。家族は、気を使って腫れ物に触る様に扱ってくれました。それでも看護婦さんは、普通に私に接してくれて冗談を言って私を元気づけてくれるので気休めになったと思います。友人からのラインなどのメッセージもうれしかったです。

10日ほどの入院でしたが、大きな大学病院の裏側を見学できたと思います。霊安室があったり、裏階段を通ってみたり、ドクターヘリのヘリポートを見に行ったりできたことは良かったです。ドクターヘリが返ってくる時は、病室の窓を閉めるように病室に放送が入るので、いつもびっくりしました。すぐ上がヘリポートだったのでの爆風が病室に入らないようにするためだったのかもしれません。

退院間近になると、4人部屋では私が古株になっていました。新しく入院してこられる家族など興味深い目でこちらを伺ったり、時には失礼にも病名を聞いてくる方もいらっしゃいました。でもそれは同じ病気の方で何度も転移、手術をされている方のご家族で、とても明るく元気なので驚きました。その姿を見てあきらめてはいけないと元気づけられました。

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内視鏡の手術を行いましたが、手術はとても怖かったです。大学病院で、いくら何百回も手術を行っている先生と言っても、やはり不安でした。全身麻酔でしたが、このまま目がさめなかったらどうしようととても怖かったです。また、肺の一部を切除したと時に声帯に触ってしまったらしく、1か月間、声が出ませんでした。

テレビに出ている声帯をやられたプロレスラーの声の様だと家族に笑われましたが、自分の言っている事が伝わらず困りました。入院中、大学病院の耳鼻咽喉科にも通いましたが、まったく声が出ず、いつ直るかもわからないと医師に言われてしまいとても悲しかったです。声が出ないこと、自分の意志が通じない事がこんなに辛い事と思いませんでした。

スマホで友人と話す時、仕事の電話をする時、何度言い直しても聞き返されて本当に困りました。最初はインフルエンザで声をやられたとごまかしていましたが、そのうち誰ともしゃべりたくなくなって家にこもっていました。幸い1カ月で治ったので良かったですが、1年も治らなかったらどうしていたのだろうとぞっとします。

まだ抜いていない親知らずが3本残っていて、いずれもかかりつけの歯科クリニックでは「まだこの3本は見てわかる虫歯などはないけれど、このうち1本は斜めに生えていて、また1本はきちんと歯の頭が出ていないので、この2本は大学病院に行ってもらえないと抜けない。大学病院に行けば、虫歯になっていてもなってなくても抜きたいと言えば抜いてもらえる。隠れてしまっている歯は特に、虫歯になっているかいないかは抜かないとわからないので、今虫歯だと診断がなくても、あまり放置するのは良くない。時間とお金と心の準備ができたら、3本まとめて大学病院で抜いてもらうのがいいよ」と言われていました。
なかなか心の準備ができませんでしたが、盆休みを利用して、大学病院で抜く決意をしました。

まず大学病院に行く前に、かかりつけの歯科クリニックで「心の準備ができたので、親知らずを大学病院に抜きに行きたいです」と相談に行きました。「わかった。紹介状を書いておくね。今日は歯石取りをして行こうね」と言われて、ここで診察一回。

後日紹介状をクリニックに取りに行き、それを持って大学病院の口腔外科の診察を受けました。初診は予約を取れないので大変長く診察待ちをしました。診察に呼ばれて、「3本まとめて抜きたい。今現在痛みや虫歯などはないが、過去に一本の親知らずを抜いただけでも大変だったので、ここで全部抜いてしまいたい。入院希望である」という旨を話しました。
希望は承諾され、すぐに入院可能日の話し合いになりました。自分の仕事の盆休みとかぶるように日程を相談させてもらい、一泊二日の入院が決まりました。「全身麻酔でお願いしたい」と話したのですが、先生には「部分麻酔でいいよ」と言われてしまい、全身麻酔の希望は通りませんでした。この後医事課で入院費の確認などをしました。

まず「世間的には盆休み中でも、診察や手術がある」ということに驚きました。そして助かりました。てっきり大学病院も盆休みになるのだと思っていましたが、自分が入院したところはお盆も診察・外来・入院・手術をしていました。

自分が入院した大学病院には「口腔外科用の入院病棟」はないとのことで、婦人科病棟の部屋に入院することになりました。自分が入院した部屋は「いろんな科の人が寄せ集めて入院する部屋」とのことで、産婦人科入院で出産が近い人もいれば、耳鼻科などの入院患者も一緒の部屋で、こういうことがあるんだなと驚きました。

築10年で新しい病院で綺麗な病棟…なのはいいのですが、個室だけでなく全室トイレがついていて、自分のベッドはトイレの真隣だったため、誰かがトイレを利用するたびに流す音がうるさくて困りました。「全室トイレがついている」のは「トイレのたびに消灯後患者が廊下を出歩くのは危険である」という配慮なのだと思うのですが、ベッドとトイレを隣接させる建築はいまいちだと思います。

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全身麻酔ではなく部分麻酔による抜歯手術だったため、歯を叩かれたり砕かれたりする衝撃はそのままリアルタイムで伝わってきてとてもしんどかったです。やっぱり全身麻酔で受けたかったな…と思いました。

手術後、血を流しに吐き続ける必要があるので、いつまで血が出ているものなのか、自分の口の中の経過の様子は大丈夫なのかすごく心配でした。クリニックで抜いた時、抜歯後翌日の経過が悪いことに気付かず悪化させてしまったため、そういうことがまた起きないか心配で入院したのですが、今回は入院で先制も寝る前に見に来てくれたり、朝来て経過を報告してくれたので、とても安心しました。

食事がおいしいと評判の病院なのですが、「歯を抜いて口が血だらけになるし、痛くて食事なんかできないだろうし、食事がおいしいとしても自分には意味ないだろうな、自分には関係ないだろうな」と思っていました。しかし自分のそんな気持ちを見透かされているかのように、「歯を抜いた当日の人間にも食べやすいように工夫された食事」が出てきて感動しました。「口が痛くて絶対食べられない…はず!」と思っていましたが、あんをかけられたふわふわの卵焼きなどがおいしくて、しっかり食事ができました。医師からは「そうだよ、ちゃんと食べて!食べたぶんだけ回復するよ!食べないと回復できないんだから、退院後もちゃんと食べてね!」と励まされました。

小学校3年生の時、たまたま風邪をこじらせたのでいつも診て頂いている診療所に行きました。恐らくただの風邪でしょうとの事でしたが、一応血液検査と尿検査をする事になり、その日は採血と検尿をして薬を貰い帰りました。4日後、診療所から急に連絡があり(1週間後に来院予定していたのですが)「タンパクの数値が異常に高いので急遽大きな病院で検査して下さい!」と言われ、診療所から紹介状を貰い、市の大きな大学病院で再検査する事になりました。検査結果で、やはり尿タンパクの異常が見つかり「急性腎炎」の疑いで即日入院になりました。

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紹介された大学病院では診療所の尿検査とは違い、尿道に直接管を通して尿を取る検査をしました。大学病院での検査結果を聞いたあと、先生の話では尿タンパクの値を下げなければいけない事、クレアチニンの値も正常ではない事など、今の私の状態は一生付き合っていかなくてはいけない「慢性腎炎」とは異なり、一時的に腎臓が弱っているであろう「急性腎炎」の疑いがあると告げられました。

病院の徹底された塩分をかなり抑えた食事療法と投薬治療で2ヶ月入院して様子を見ましょうとの事でした。丁度小学校も夏休みに差し掛かる前だったので、早いほうがいいとの事で、私は看護師さんに入院する部屋に連れていかれ、母は入院の準備のために一旦家に戻りました。
急性腎炎の疑いで入院していたので、とにかく病院食が美味しくないんです。美味しくないというか味がほとんどしません、塩分をかなり抑えた献立になっているので。ほうれん草のお浸しなんて醤油は一切かかってなくて鰹節のみ、煮物も煮魚もとにかく色も薄いし味も薄いので、それまで濃い目の味付けに慣れていた私は食べられなくなってしまいました。それを見た母が、これは絶対駄目だと今は思うのですが、薄めたお醤油や味の素などを隠れて持ち込んで、食事の時はちょこっとかけてくれました。

こんな事バレたら絶対怒られる・・・と思っていた次の日の朝、私は4人部屋に入院していたのですが、私の前のベッドに入院していた中学生のお姉さんがガサゴソとトースターを出してきて朝食のパンを焼き始めたんです!びっくりして見ていると今度は焼きあがったパンにバターを塗っている・・・目がテンになって見ていると、そのお姉さんは「こんな味のしないパン、焼いてバター塗らないと食べられないよ!」と笑っていました。私のちょっぴりのお醤油なんて何てことないのだと笑えてきました。

私の入院していた病棟はめちゃくちゃ古かったので、それは怖い雰囲気もバリバリありまして、夜の9時消灯のあとは本当にシーンと聞こえるくらい静かになるのが怖かったです。トイレも怖くて仕方なかったのですが、腎臓病の患者さんは自分のしたおしっこを一切便器に流すことなく、トイレに入る時は紙コップを持って全部尿を取り、そしてその紙コップを持ってトイレ奥に置いてある自分の名前の書かれた巨大シリンダーに入れるのですが、その奥に行くのも怖くて怖くて。夜がとにかく苦手でした。廊下を誰かが歩く音や水滴が落ちる音などが響くのでそのたびにびくびくしていました。

それと私の入院する部屋から1人、急に退院した子が居ました。私が入院してまだ日が浅かったと思いますが、母にいつもあそこに居た子はどこに行ったのかを聞くと小さな声で「退院したんだよ、でも周りの人にはいろいろ言っちゃ駄目だよ」と言われました。当時はただ退院しただけだと思っていましたが、退院の時は小児病棟の入り口で看護師さんみんなが見送ってくれるんですね、その子はそういう事もなかった、少ししてそうだったんだなぁと知りました。短期間の入院でしたが色々なことを学びました。